LOOSE GAME 03-2


あたしはまだホテルのベッドに横たわったまま。
まだ、動く力が出ないよ。
いろんなことがありすぎて。

自分の両手を白い天井に向かって伸ばす。
バレーボールをやってたし、女の子にしてはごつい手だと思う。
昔は嫌いだった。
可愛げがなくて。

でも、今のあたしには、この手しか残ってない。

周りの人に嫌われて、大事な仲間を裏切って。
今のあたしには何も残っていない。
あたしがしたことは全部がただのわがままだったのかもしれない。
あたしには何も分からない。
ひとつだけ確かなことといったら。

あたしはこの手で、闘った。

ただ、それだけのことだった。
そのことに意味があるのか。
わからない、何もわからない。

天に伸ばした手で空を掴むと、もちろん何にもつかめなくて。
それはただの握りこぶしになる。
堅い堅い握りこぶし。

闘ったこの手には何も残らなかった。
何もつかめなかった。

嫌いだった自分の手。
華奢でも美しくもないけれど。
勝ちはつかめなかったけど。

でも、負けなかった。

あの人がステージの上でするのを真似て、あたしは自分のこぶしにキスをした。
何かを掴むには小さすぎて、誰かに守られるには大きすぎる、あたしの手。

愛しくて口づけたんじゃない。
グッドラック。
幸運を、のキス。

**********

へらへらと笑って過ごしていた頃。
無気力な自分を、ほんの少しだけ残ってた本当の自分と、あの人達の歌が責め続けた。
こんな風に死んでるみたいに生きているのは罪なんだと。
弱い自分はその声に必死で耳を塞いだ。

それでも、本当の自分と彼らの歌を捨てる切ることは出来なかったのは。
それは、やっぱり。
たぶん、一番楽な道のように思えた薄ら笑いの自分でいることが、本当はしんどかったからだと思う。

年が明け、寒さが本格的に厳しくなった頃。

あたしは1枚のチケットを手に入れた。
あたしを変えた。
まるで戦場への召集令状のよう。
運命のチケット。

あの人達のライブのチケット。

それがあたしのお守りになった。
うつろに過ぎていく日々の中、まるでそれだけが現実のように思えた。
その日を指折り数えて待つ毎日。

そして、長い悪魔の日々を乗り越えてたどり着いたその日。
今思えば、あれは、神様とかそんなんが臆病で卑屈で情けないあたしに喝をくれるために与えた偶然なんだと思う。
あたしに、生きろ、と。

待ち続けた彼らのライブで、あたしは全てを忘れて声を出した。
あたしにも、まだ、こんな大声が出せる力が残ってたんだって自分でも驚いた。
彼らはあたし達オーディエンスにこう叫んでいるようだった。

「叫べ!拳を上げろ!!闘え!!!」と。

薄っぺらな応援ソングじゃない。
彼ら自身がずっと闘い続けてきた歴史があるからこそ、心に響く声だった。
自分はここで生きてるんだって声に出せないヤツには生きている資格なんかないんだって。

確かに、あの時。
あたしは自分が現実に生きている人間なんだって実感してた。
どんなエクスキューズもいらない。
自分の置かれている立場がどうだとか、状況がどうだとか、周りの人間がどうだとか。
そんなのは関係ない。
ただ、生きてるんだって。
あたしは、泣くことも笑うことも怒ることもできる、確かに熱い血のかよった人間なんだってこと、やっと思い出した。

そして、ハプニング。
あたしは、あの人達に第二次接近遭遇することになった。

その、運命のいたずらに、あたしは本当にどうしていいかわからなくなってしまった。
だって。
あたしにとって唯一の神様が、そこにいたんだもん。

あの時はいっぱい迷惑もかけたし、最高にみっともない自分だった。
でも、あの人たちは大きくて、優しくて。
何より、ずっと「生きてきた」人たちだった。
一番大事なものが何なのかちゃんとわかってて、それを守るために他の何かを犠牲にしても、それを貫いて生きてきた強さとカッコよさがあった。
あたしはそれにうちのめされた。
自分はなんてつまらない人間なんだろうって。

そして、あの人たちは。
そんなあたしを、あたしとして見てくれた。
「モームス」でも「アイドル」でも「ゲームの駒」でもなく。

あたしを、ただの情けないちっぽけな小娘として扱ってくれた。

そう。
あたしはただの、ちっぽけな人間。
自分が何者か、何が出来るのか。
ううん、何がしたいのかさえも分からない。
でも、ここに生きている、「あたし」。
それ以上でもそれ以下でもない。
ただの、あたし。

単純なのかもしれない。
あの人はただ何気なく言っただけなのかもしれない。
でも、あたしは、あのときあの人に言われたことを忘れない。

「愛想笑いばっかしとうと、本当に楽しいとき笑えんようになるぞ」
「自分に正直にならんと、ほんまに大事なモンば見失うったい」

彼は、あたしの年の頃がいちばん「しんどいとき」だって言った。
あたしは今までそんなこと思ったこともなかった。
だって、真剣に生きてなかったから。
逃げて、逃げて。
闘うことをあきらめて。
一番カッコ悪い生き方をしてたから。

あたしは彼に近づきたかった。
彼のように強い人間になりたかった。
負ける悔しさも、逃げる弱さも知っていて、それでも強くいられるあの人のように。

しんどくてもいい。
傷ついてもいい。
生きていたい。

彼はあたしにそう思わせた。
今度彼に会うときは、どんなに傷だらけでも胸を張った自分でいたい。

あたしは、闘うことを決めた。

**********

長い長い眠りから覚めて。
あたしは自分を取り戻す旅をはじめた。

キツイ旅。
長い間眠りすぎて、自分にも本当の自分がわからない。
どうすればいいのかわからなかった。
だから、まず、嘘をつくのをやめた。

そのとたんに、あたしを取り巻く世界は大きな悲鳴をあげてひずみ始めた。
誰が敵で、誰が味方か。
今まで気づかなかったことが鮮明に見えだした。

でも、それは。
大人の世界にとっては。
ただの「反逆」だった。

**********

最初はちいさなことだった。

服装を変えた。
バカみたいだけど。
そんなことからしか変えられなかった。
今までは1センチ切るのでもマネージャーの了解をとっていた髪を、勝手に金髪に染めた。
古着屋に通い、彼らのような革ジャンやシルバーアクセサリーを身につけるようになった。
それだけでいっぱしのキブン。

今まで一人でベッドの中で聞いていた彼らの歌を、わざわざ現場にMDウォークマンのスピーカーまで持って行って楽屋でも現場でも大音量で鳴らした。
仲間たちは「うるさい」とか「ダサい」とか言って嫌がったけど。
そのうちみんな、嫌々ながらも覚えてしまって。
あたしが歌いだすとみんな一緒に歌ってくれた。

楽屋の中で「激しい雨が」の大合唱。
あたしがふざけて拳を振り上げると、みんなもノッて拳を突き上げる。

あたしはおかしかった。
だって、みんな知らないけど、みんなが生まれる前の曲なのにって思ったら。
それに、あたしに「ロックなんか聞く女は好みじゃない」って言いやがったアイツのお気に入りの女の子たちに、アイツが作った「ロック風味」じゃない、「本当のロック」を歌わせているって思ったら。
厭らしいかもしれないけど、ちょっとした復讐のキブンだった。

音楽の趣味は人それぞれだから。
クラッシックを好む人もいればあたしみたいに尖った音が好きなヤツもいる。
みんながみんなあたしみたいに彼らにハマったわけじゃなかった。
でも、中でもののは、よく一緒に彼らの歌を聴いてくれた。
「かっこいいね」
あたしの膝の上で、あの笑顔を浮かべてよく言ってくれた。

一緒にいる時間がもう残り少なかった圭ちゃんも、よく一緒に歌ってくれた。
悔しかったのは圭ちゃんが歌うとあたしよりカッコいいこと。
圭ちゃんのカッコよさを改めて感じた。
圭ちゃんは気づいてなかったかもしれないけど、圭ちゃんが彼らの歌を歌うとき。
圭ちゃんの目はロックになった。

かおりんはもっとクールだった。
あたしがバカみたいに飛び跳ねながら彼らの歌を聴いていると、「この曲、ギターのリフがかっこいいね」なんてあたしにもよく分からないこと言ったりして。
改めて、かおりんは、大好きな彼らの曲でさえ「カッコいい!」ってことしかわかんないあたしなんかよりずっと音楽のこと勉強してるし、大好きなんだなって思った。

反対に梨華ちゃんが歌うと。
それはそれは、あんまりにへなへなで笑えた。
梨華ちゃんが彼らの歌を歌うとき、あたしはよくふざけて梨華ちゃんに飛びついて口を塞いだ。「森やんが泣くから歌うな!」って言って。
そのたびに梨華ちゃんは唇を尖らせてあたしを睨んだ。
でも、その目はいつも笑ってて。
あるときなんか「よっすぃーが、元気になってよかった」なんて言われちゃったりして。
ずっと、ふてくされて、後ろ向きだった自分が。
今まで一番そばにいてくれた、正反対の性格の、でも一番大事な友達にどんなに心配をかけてたんだろうって泣きたくなったりした。

あたしは恵まれてた。
本当に、いい仲間に囲まれてたんだ。

そんなことにすら気づかなかった、死んでいたときの自分を恥じた。
誰も本当のあたしなんて求めてなんかいないって塞ぎこんでたとき。
あたしは彼女達にどんなに心配をかけていたんだろうと。

そのうちにあたしも、彼らの曲以外にもいろんなロックを知るようになって。
もちろん、彼らがCDやライブでカバーしているのを聞いたのがきっかけで、必死で原曲を探したりしてなんだけど。
その頃には、あたしもいっぱしのロック少女を気取ってた。
彼らの曲と一緒にラモーンズやクラッシュの曲をかけたりして。
まぁ、彼ら経由だから選曲が多少古いのは承知の上で。
みんな、あたしと一緒で頭は悪いから、所詮「めちゃくちゃ英語」なんだけど、I FOUGHT THE LAWやLONDON CALLINGを合唱してて、たまたま楽屋前を通りがかった「その世代」の大人に驚かれたりしたっけ。

あたしたちは上手くやってた。
でも、大人たちはそれを許してはくれなかった。

本当の戦いは、髪や服装を変えたり、そんなことじゃなかった。
もっとシビアでハード。
あたしはそれを上手くかわせるほど大人でもなかった。

**********

誰が告げ口したのか、誰がNGを出したのか分かるような分からないような。
楽屋内で音楽をかけるななんて指令が出て。
理由は何だっけ?
楽屋内で騒ぎすぎると本番で声が出ないからだっけ。
ばかじゃねーの?本番前にある程度声を出しとかないと、本番で声が出づらいなんてアイドルのあたし達にも分かってることなのに。
正直に「オマエの聞いてる曲がモームス様にはふさわしくない」って言えよって思った。

もちろん、あたしが首謀者だってことは誰の目にも明らかだったし、自分がマークされてんのはよく分かってた。
ちょっとしたことでもマネージャー連に呼び出されてお説教を受けたり、打ち合わせと称して仲間たちから隔離される時間が増えていった。
もちろん、あたしに回される仕事も飛躍的に、減った。

構うもんか。
あたしはその度に拳を握り締めた。

でも。
本当は悔しかった。
大人たちに何も分かってもらえないことも。
本当のことを口にするようになって手のひらを返したように扱い方を変えたヤツらは、やっぱりあたしの中身になんて何の興味もなかったんだって思い知らされたことも。
ヤツらが大切なのは、いつも、どこまでいっても「モームス」。
ううん、違う、娘。のことだって大切になんて思っちゃいない。
ヤツらが大切にしていたのは、「モームス」が生み出す、「金」だけだった。

ただ、負けたくなかった。
ちっぽけでも、無様でも、自分自身を信じたかった。
強いあたしでいたかった。
だから、ひとりの時でも絶対に泣かなかった。
だから、この手を握り締めて、あたしは闘った。

楽しくないのに笑うのを止めた。
人の話を聞いてないのに聞いているフリをするのも止めた。
気に入らない衣装は着たくないとごねた。

でも、仕事は一生懸命やった。
あたしにとって仕事とは。
ブラウン管の中でバカみたいにへらへらしていることじゃない。
向こう側の誰かに何かを伝えることだった。

それは、歌だったり、娘。はこんなに楽しくて素晴らしいグループなんだってことだったり。
あたし自身。
この「吉澤ひとみ」は誰かが作り上げたお人形さんなんかじゃなくて。
ちっぽけで、みっともなくて、ひねくれた。
でもちゃんと生きている人間なんだってことだった。

だから、今まで以上にダンスも歌もがんばった。
本当に楽しいときは心から笑った。
思ったことは台本に無くても言った。

でも、そのことを評価してくれる人は誰もいなかった。
どいつもこいつも、あたしを押さえつけることしか眼中にないみたいだった。

そんな大人たちの中で、唯一あたしの味方になってくれたのはマネージャーの姫野ちゃんだけだった。

姫野ちゃんの口癖は「自分で考えろ」で、あたし達に頭ごなしに何かを押し付けたりしなかった。あたし達の話もよく聞いてくれた。
マネージャー連に説教を受けてるときにはフォローしてくれたり逃がしてくれたりした。

雑誌の取材で事務所に言われたとおりのコメントを言わなかったあたしに、チーフの山田さんが切れたとき。ヤツはあたしに「お前の代わりなんていくらでもいるんだ、何様のつもりか知らんがお前なんか娘。じゃなかったら何の価値もない小娘なんだぞ」と言った。
ヤツがあたしのことそう思ってるのは知ってた。

でも知ってたからって言われて傷つかないわけじゃない。
怒りで涙が出そうになった。
でもヤツの前では絶対に泣きたくなかった。
戦いの途中だから、誰の前でも泣きたくなかった。

そのとき、姫野ちゃんがヤツに食ってかかっていった。

「吉澤の代わりなんて誰もいません。吉澤に価値がないってことは娘。にだって価値なんかないってことです。取り消してください」と。

嬉しかった。
孤立無援の戦いの中、あたしのことをかばってくれる人がいたことが嬉しかった。
でも、そうやって優しくされると、今度は違う涙が出てきそうで困った。

姫野ちゃんだって、あたしを助けてくれたわけじゃないけど。
でも、あたしがもがいているのを肯定してくれた。
「答えを出すのは自分しかいないんだから、気が済むまで悩んで考えればいい」
そう言ってくれた。
今思えば、姫野ちゃんだって、マネージャー連の中で厳しい立場に陥っていたんだろうけど。それでもあたしの気持ちを優先してくれた。

でも、あたしの選択は。
最終的には姫野ちゃんまでも切り捨てることになった。

**********

春が近づいてくる頃には、あたしの場所は歌うことにしか残っていなかった。
テレビでもラジオや雑誌の取材でも、事務所に手を回されてあたしは透明人間のような扱いになってた。
そこにいても、いない。

そんな状況の中。
娘。のみんなはあたしのこと、気を使ってくれて腫れ物に触るような扱いになってた。
いつものようにふざけたり、大騒ぎしてるんだけど。
仕事のことになると、ほんの少しの壁を感じた。

あたしのせいで、プッチが、小川とアヤカちゃんがワリ食ってるのは、その頃にはみんなも薄々感づいていたみたいで。
あたしもうかつに皆を巻き込むことは出来なかったし。
みんなも、あたしと仕事の間で、難しい立場にいたんだと思う。
一言で「仕事」って言ってたけど、娘。達にとっては、それは「夢」と同義語だってこと、あたしにだって分かってたし。あたしのせいで「夢」をフイにできないみんなの気持ちは痛いほど分かるよ。そんなこと恨んでなんかいよ。
それに、あたしの戦いのために、もう誰も犠牲にしたくなかった。

構わない。
あたしにはまだ、歌う場所がある。
誰かに伝えることが出来る。

そう思ったとき。

あたしは気づいてしまった。
あたしが今、歌っているこの歌に、伝える意味なんかあるんだろうかと。
あたしが一番憎んでいる、あいつが作った、この薄っぺらい言葉の羅列に伝える意味なんかあるんだろうかと。

別に間違ったことを言ってるワケじゃない。
でも、あたしが伝えようとやっきになってる、この最後の頼みの綱の言葉は。
所詮ヤツの作った上っ面の意味のない言葉なんじゃないかって。
あたしが伝えたいことって何なんだろうって。

それに気づいた瞬間から、またあたしは深い闇の中に落ちていった。
あたしの、一番大切な人が嫌う「街に氾濫する嘘っぱちなティッシュペーパーみたいな歌」を量産してるのは、他でもないあたし自身なんじゃないのかって。
彼らが一番軽蔑してる安っぽい歌を。
中身のない歌を。
使い捨ての歌を。

歌うことが、唯一の救いだったのに。
歌うことの意味を見失ってしまった。

それに気がついてしまえば。
もう無責任な「がんばれ」なんて歌は歌えないよ。

その時。
あたしは、娘。を辞めることを。
初めて考えた。

どんなにつらくても。
今までそんなこと考えたことも無かったのに。

もがけがもがくほど、体に絡み付いてくる闇。
あたしの視界を奪う。
こんなにがんばっても。
何も、何も見えなくなる。
もうやだ。
やだやだやだ。

だから、逃げる道を選ぼうとしてた。

**********

その頃も、スケジュールが許す限り彼らのライブには通ってた。
中毒症状。
そんな感じ。
彼らのライブで息をしなければ、あたしは窒息死していたかもしれない。

初めての彼らのライブで出会った、あの親子とも何度も会って、仲良くなった。
そのお父さん―――。彼は小さなショットバーをやってて、皆に「マスター」って呼ばれた。小さな達也くんとも仲良くなった。マスターの紹介で他の彼らのファンの人とも仲良くなったりして。最初は「モームス」って言われたけど。そのうち誰もそんなこと気にしなくなって。すごく年上の人も、同じくらいの年も人もいて。でもみんなただの彼らのファンで。
会うといつも夢中で彼らのことを話した。
ライブでもみんなが守ってくれて、あたしはただのあたしとして彼らのライブを楽しめた。

そんなある日のライブ終りに、あたしは一人の女の人に声をかけられた。

それは、あたしが彼らのライブで大失態をしでかした後の打ち上げで、あたしを守ってくれた女の人だった。

「打ち上げ、連れてってあげようか?」

彼女、木崎さんはいたずらっこみたいな顔であたしにそう言った。
あたしは驚いて。
そりゃあ、行きたかったけど。

「どうして―――」
「だってよっすぃー、あれからずっとライブに通ってるじゃん。好きなんだなーと思ってさ」
「でも」
「えへへ。っていうか。いつ声かけようかなって、実はずっと狙ってたんだけどね」
「えっ……」
「だってあたしモーヲタだもん」

木崎さんはそう言って笑った。
『何があってもファンとは個人的な関わりを持たないこと』
娘。に入ったときしつこいくらい言われた「約束」だったけど。
あたしは木崎さんにくっついて行った。
そりゃあ、もちろん、大好きなあの人達のそばに行けるかもっていうのに惹かれたのもあるけど。
木崎さんが、あんまり明るく笑うから。
好きだって言ってもらってるあたし自身は、もうずいぶんそんな風に笑えてないのに。
だから、何となく。
その秘密が知りたくて。

打ち上げ、と言っても別に千秋楽でも何でもないからただの飲み屋での食事で。この前の時みたいに大人数のパーティーとかでもなくて。木崎さんに連れて行かれた飲み屋には、あの人たちとあと数人のスタッフ。全部で10人くらいしかいなくて、居酒屋のお座敷だった。

「モームス」を連れてきたことで、彼らのマネージャーの宇佐美さんは、ちょっと迷惑そうだったけど、木崎さんが「友達です」って言い張ってくれた。
あの人たちは闖入者のあたしに気づいて、「おーあの時の」みたいにちょっと声をかけてくれたけど。すでに彼らの一ファン、っていうかただの信者になっていたあたしにはぎこちない返事を返すの精一杯だった。
ひえー、あの人たちが目の前にいるよぉおおお。って思うだけで。
もうあたしはイッパイイッパイだったけ。
あたしは、とにかく、顔を上げればすぐそこに彼らがいるのがどうしていいかわからなくて、人見知りしている子供みたいに木崎さんの後ろに隠れてた。

「どうして、あたしを連れてきてくれたんですか?」
カンパイが終わって、あたしはそっと木崎さんに聞いた。
「え?」
「あたしが、モームス……だから?」
木崎さんはそんなにお酒に強くないみたいで、目の周りをほんのり赤くして、あたしに優しい笑顔を見せた。
「んー。よっすぃーが、好きだから」
「えっ?」
「普通に、いっつもかわいいなぁ、がんばれよーって応援してて。その本人が目の前にいるんだから、当然声かけちゃうよぉ」
「でも、でも。あたしが娘。じゃなかったら―――」
いつもついて回る「モームス」って言葉に抗うようにあたしは言ってた。
「んじゃ、何でよっすぃーは付いてきたの?あの人達―――」
木崎さんは離れた席で陽気に話している彼らを指した。
「が、いるからでしょ?ちょっとでも近くに行ってみたいって思ったんじゃない?」
「……うん」
「同じだよ。よっすぃーが彼らを好きみたいに。私もよっすぃーが好きだからさ。あの人達、エサにして、よっすぃーをひっかけたの。ちょっとでもよっすぃーと話したくって」

木崎さんはそう言って、また、明るく笑った。
あたしは考えてもいなかった。
あたしが彼らを愛するのと同じように、あたしのことを愛してくれてる人がいるなんてことを。

あたしに、そんな価値があるなんて。

あたしは嬉しくなった。
あたしは、木崎さんを見て、久しぶりに心からの笑うことができたと思う。
「友達。あたし達、友達。ですよね?」
あたしは木崎さんに言った。
木崎さんは大げさにあたしに抱きつく真似をした。
「いやぁああん、かわぃいいいい」
そして、ほんのちょっと酔っ払ってるっぽい木崎さんは、しきりにあたしにお酒を勧めてくれた。あたしも、いい気分で。
酒とタバコと男だけは何があっても絶対近づけないようにって、本当に耳にたこが出来るほどヤツらに言われてたことも、忘れてしまってた。
いや、本当は、ちゃんと分かってたけど。
けど。
嬉しくて。
そんなのクソ食らえってキブンになってた、の、かな。

気がついたときには、天井がぐるぐる回ってて。
いつもより、ほんの少し勇敢なキブンのあたしがいて。
木崎さんが「せっかくなんだから、森山さんと話しておいでよ」なんて言ってて。
もう、ワケがわかんなかった。
何か、気がついたら。
目の前に、あの、優しい目があって。

「なんちゃぁ。酔うとっとか?」
そう言うあの人も、多分、少し酔ってたのかなぁ。
「んへへ」
あの人はあたしの頭をぐりぐりと撫ぜるというか、回すというか。
「お前、テレビ出よるの見たっちゃけん。なんっちゃぁ、悪魔ばカッコしよってから」
「おー、俺も見たっちゃ。何か昼間っちゃろ?目覚めたけんね。あのガキやーち」
「お前おもしろかぁー」
「こいつロックっちゃけん。かわいか女の子ばよーさんおったけん、こいつの可愛げなかごたえらい笑えたけんね」
彼らに囲まれて。
でも彼らも酔っ払ってるのか、博多弁の応酬で半分くらい何を言ってるのかわかんなくて。あたしも酔っ払ってたし。でもとにかく、何だか分からないけど嬉しかった。
ほんの少し、あの人達の世界に入れたみたいで。

でも。
酔っ払って、飛び飛びの記憶の中。
次の記憶はもっとシャレになんなくて。

お酒のせいだと思いたい。
あたしはあんなみっともない真似するような人間じゃない。

そりゃあ、あたしは、彼らには憧れていたけれど。
でも。
お悩み相談なんてあたしのガラじゃないし。
あたしは、一人で闘うことを決めたんだから。
あんなこと言うつもりも、本当に、全くなかったし。

でも。
でも、あれがなければ、あたしは、その時居た暗い迷路から抜け出せなかったかもしれない。

「森やんが軽蔑してんのは、分かってんだもん!」
その時点で、もう、敬語もくそもなかった。絡み酒。かっこ悪い。
「このガキに飲ませたん誰じゃー」って言いながら。でも酔っ払った無様なあたしの話を、彼は真剣に聞いてくれた。
今まで、誰も真剣に聞いてくれなかった、あたしの話を。
クソガキの、この、あたしの話を。
「ペラペラの、嘘ばっかりの歌、量産して。バカみたいにニコニコ笑いながら、消費するだけの歌しか歌えないんだもん。全部、全部、嘘ばっかりなんだもん。でも、あたしが歌う場所はそこしかなくてっ。嘘しか、嘘しかっ―――」

それまで、森やんの目は、笑ってた。
優しかった。
酔っ払ったあたしを、しょうがねーヤツだなって、見てたのに。

目が、ぐっと真剣になって。

曖昧な記憶の中なのに。
その瞬間のことははっきり覚えてる。

今までくつろいでた猫の目が、何かの拍子にキケンなものを見るように急に細められるみたいに。
あの人の目が、変わった瞬間を、覚えてる。

「んじゃ、やめれ」
「え…?」
「そんな気持ちで歌いようやったら、とっととやめたらよか」

真っ直ぐに、あたしの胸に突き刺さる言葉。

「お前がどんな歌、歌っとうか知らん。嘘かクソか、そげんこと俺は知らん。ばってん、歌いよるきさんが嘘やち思て歌いようなら、その瞬間にホンモンの嘘でクソになるっちゃ。そんなもんは、カネば払って一生懸命聞いとるヤツに失礼やけん。とっとと辞めろ」

真剣な目だった。
こんな、みっともないあたしに、本気で話してくれてる目だった。
あたしのまわりの大人は、嘘ばっかりで、取り繕うばっかりで、本当のことなんかこれっぽちも言ってくれなかったのに。
彼は、本気で、あたしを叱ってくれた。
立場とか、利害とか、そんなの抜きで叱ってくれた。

そして、彼はあたしの目を覗き込む。
誰も彼もみんな、あたしが戦いを始めてから、あたしからそらしてばかりだった目を。

「前に会うたときより、ええ顔になってきよっちゃけん。お前もがんばっとうやて思ったけん、何、情けなかことゆうとろ?納得いかんのやったら自分の手で変えたらよかろ」

20年以上闘い続けた、その手で、あたしの頭を撫でた。
誰も認めてくれなかったあたしの戦いを、彼が、認めてくれた。

「お前は、せっかくええ目持っちょるんやから、真っ直ぐ前見て、負けんな」

酔ってたから。
本当は、違うって知ってたけど。
でも、酔ってたからだと思いたかった。

誰の前でも、一人のときでも。
絶対泣くもんかって思ってたのに。
弱い自分を封印してたのに。

あたしは。
彼の前で、子供みたいにびーびー泣いてた。
情けない。
みっともない。

どうして、あたしはいつもこの人の前でこんなみっともない自分を見せてしまうんだろう。

「すーぐ泣きよる」
彼はそう言って笑った。

いつの間にかすっかり出来あがってた木崎さんが、彼に「よっすぃーを泣かした」と抗議した。
自称モーヲタの木崎さんは、娘。とは何かを一生懸命彼らに語って。彼らはそれを「はいはい」と適当に受け流してて―――。

そんな会話を聞きながら、あたしの意識はだんだんぼんやりと遠くなって。
気がついたら木崎さんの膝枕ですっかり眠り込んでいたんだっけ。

でも、その夜手に入れた真実を、あたしは決して忘れない。

あの人の言葉が、目が。
いつも迷うあたしをスタートラインに引き戻してくれる。

闘うのはあたし自身。

でも、あの、時に優しくて、時に好戦的な目が。
たとえ傷ついてボロボロになっても、あたしを導いてくれると知った。


つづく


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